看護師の仕事が好きだったはずなのに、気がつけば「辞めたい」と思うことばかり増えていた。
私は20年看護師をしている。年数で言うと、結構なベテランの部類に入る。
今まで、大学病院や総合病院、行政で働いてきた。どの職場でも、いいことと嫌なことがあった。
どんなに大変でも「頑張ろう」と踏ん張ってきたけれど、もう無理。そう決断するまでの気持ちを、今日は正直に書こうと思う。
職場がどんどん居心地の悪い場所に
どんな仕事でも、人間関係が大切なのはわかってる。ここ最近の職場は空気が重すぎた。
最初は「気にしない」と自分に言い聞かせていたけれど、徐々に職場に行くのが苦痛になっていった。
患者さんのために働きたくて選んだ仕事なのに、同僚との関係に気を遣うことばかり。
これって、私がやりたかった看護師の仕事なのかな…。
以前は人間関係が良く居心地の良かった職場が、こんなに働きにくくなった理由は、経営体制と管理者の変更だった。
職場の体制が変わるということ
「経営体制が変わる」と聞いたときは、まさかここまで職場の環境が変わるとは思っていなかった。
ある意味、一般社会では普通のことなのかもしれない。
でも、医療現場しか知らない私には驚くことの多い日々だった。
私の職場は、ある日別の会社と経営統合し、組織が大きくなった。
はじめは「これで経営が安定する」「看護師のみなさんに損はさせません」と言われていた。
そのうち、新しい経営者が採用した人がどんどん入ってきた。
法律や会計の専門家、そして事務職ばかりの新メンバー。
おや?と思った。
医療や看護の知識がほとんどない人ばかり。
しかも、その人たちが現場の状況を知らないまま、私たち看護師の仕事ぶりを評価する立場になっていた。
「もっと効率よくやれるんじゃないですか?」
「今のやり方だとコストがかかりすぎるので、改善しましょう。」
たしかにその通りかもしれない。効率は大切。
でもね、看護って、人と関わる仕事。
この大前提も忘れてはならないはず。
現場のリアルを知らない人たちが、一方的に業務の進め方を変えようとし、仕事が早い看護師が評価されていく。
そんな看護師は、確かに早い。
でも、「雑で話を聞いてくれない」と患者・家族から時折クレームが入ることも。
「みなさんのために職場改革をします」と意味のない面談が繰り返される日々。
面談で話せば話すほど、経営陣が医療や看護について何にもわかっていないと感じて絶望する。
こんな面談してる暇があったら、仕事したいんですけど。
どんどん働きづらくなっていきました。
給料が下がると聞いたとき、気持ちが折れた
そして最終的に言い渡されたのは、「看護師全員の給料を引き下げる」という決定だった。
どうやら、私たちは今まで給料をもらいすぎていたらしい。
そう経営陣が評価したそうだ。
そして、その決定は覆らないし、今後も減っていく可能性があるらしい。
最初にそれを聞いたとき、頭が真っ白になった。
私たちの仕事を評価する人は、医療を知らない人たちで、本当に必要な努力や苦労は理解されていない。
ただただ、経営という側面からみて「人件費が高すぎる」という判断だったらしい。
それまで、不満を抱えながらも「仕事だから」と割り切っていたけれど、この決定を聞いたときに、何かがプツンと切れた気がした。
「ここにいても、もう報われることはないかもしれない。」
そう思った瞬間、もう無理に頑張る必要なんてないんじゃないかと思えてきた。
高圧的で気分屋な上司に振り回される毎日
私は特別ターゲットにされていたわけじゃない。
でも、上司が認めていない看護師に対する態度は、あまりにも露骨だった。
気に入っている人には普通に接するのに、少しでもミスをしたり、自分の考えに合わない人には容赦ない。
明らかに不公平な扱いを受けている同僚を見ているのは、正直つらかった。
注意するときの口調も失礼で「そんな言い方をしなくても…」と思うことが何度もあった。
攻撃されていなくても、あの理不尽な光景を毎日見せられるのは、本当にしんどかった。
尊敬していたB先輩が辞めると決めたのも、この上司の態度が原因のひとつだったと聞いて、「やっぱりこの職場に未来はないのかもしれない」と思った。
「辞める」と決めたら、心が軽くなった

辞める決意をしたら、不思議と気持ちが楽になった。
今まで「どうしよう」「まだ頑張るべき?」と悩んでいた時間がもったいなかったと思えるほどに。
もちろん、次の職場がすぐに見つかるか不安もある。でも、このままここに居続けて、心も身体もすり減らすくらいなら、新しい道を探した方がいい。
私が看護師を目指したのは、「手に職を付けて安定したい」という現実的な理由と「人の役に立ちたい」という気持ちだった。
看護の仕事は楽じゃないけど楽しさもある。
自分が勉強した分、誰かの役に立つし、やりがいも増える。
だから20年間、看護師を続けてこれたんだ。
これからも続けていきたいから、今の環境に縛られる必要はないのかもしれない。